永劫山 報身寺 ~小田原七福神 恵比寿神・2018年~
(参拝日:平成30年1月7日)
平成30年は成人の日が1/8(月)になったので、三連休の週末となりました
中日の1/7(日)に3日目の小田原七福神巡拝です
この日も大変よく晴れて、坂を上るときはコート脱いで歩くくらいでした
残りは恵比寿神・大黒天・二宮尊徳翁の3カ所で、恵比寿神の報身寺から大黒天の蓮船寺まで回りました
永劫山 最勝院 報身寺
報身寺は神奈川県小田原市、相模湾が目の前の早川IC真下にある浄土宗のお寺です
ご本尊は阿弥陀如来、創建は、寛正4(1463)年で室町幕府8代将軍足利義政の時代
小田原七福神の恵比寿神と足柄三十三観音の31番札所となっています
アクセスは小田原駅からだとかなり遠く、徒歩30分くらい
小田急線箱根板橋駅・JR東海道線早川駅からだと徒歩10分くらいなのでこちらからのほうがいいかも
境内には駐車スペースもあるので車でも大丈夫そうですが、通りから入る道が細いのでうっかりするとそのまま早川までいってしまいますので注意です
こちらには小田原市が昭和32年に市指定した平成輔の墓所があります
平成輔は、京都の公家で、本姓は平氏ですが、家が京都烏通りにあったので、烏丸成輔と称しました。また、官位が正三参議であり、参議の唐の呼び名が宰相ということから、平宰相成輔とも呼ばれていました。成輔は、御醍醐天皇の親任を受けて中興の仕事に加わり、鎌倉幕府の倒滅を計画したことが漏れて、六波羅探題(京都に置かれた鎌倉幕府の出張機関)に捕らえられ、鎌倉に護送される途中、元弘2年(1332)5月22日(成輔42歳)三河入道円重によって、早川の河口で殺害されました。その事情は、太平記・増鏡・大日本史などに詳しく書かれています。当時、この場所に潮音寺という建ったばかりの大寺があったので、その境内に葬られたとおもわれますが、潮音寺は明治41年に報身寺に合併され、この墓所も報身寺の所有となりました。(小田原市公式サイトより)
潮音寺というと毘沙門天でお参りしたお寺と同じ名前ですね
この海沿いの場所なら確かに潮の音も聞こえそうですが、何か関係があったのでしょうか?
御朱印
本堂右手の庫裏にていただきました(各300円)
玄関にはかわいいけど大きくて黒いワンちゃんがのんびりとしています
すごい貫禄です(笑)
ご本尊・阿弥陀如来
筆のタッチがとてもいいなと思った墨書きです
御朱印帳に書き入れしていただいた恵比寿神(2017年)
境内散策
国道一号線から早川方面へ向かう抜け道になっている道みたいで、車の往来の多い道路を進み、旧早川橋の手前の細い路地を入ると報身寺です
山門を入ってすぐ左側に石像の恵比寿様がいらっしゃいますが、本堂の右奥にも木造の恵比寿様が祀られています
御朱印は庫裏玄関にて奥様にお願いしました
去年もみた貫禄あるワンちゃんが小学生の女の子にじゃれついていました(笑)
参拝を終えて
平成輔の墓所は帰ってから調べものをしたときに知ったので今回はいけませんでしたのでまたの機会にお参りしたいと思います
そういえばこちらも足柄三十三観音の札所でした
またしても現在の状況など聞きそびれてしまいました・・・